仲間のものがたり

深刻なスリップ

 先日、買春をしてしまうという、つながって以来最も深刻なスリップをしてしまった。みじめだった。だが学ぶこともあった。アクティングアウトのむなしさを、そんなことをしても自分が本当に必要としていること、求めていることが満たされはしないことを感じられた。これは自分にとっては意味のあることだと思う。なぜならつながる前は僕はそういうことを繰り返していてもそうは感じられなかった、認められなかったのだから。

アノニマス

(初出:2007年2月第18回横浜アディクションセミナー資料集)

回復してきたと思うこと

 私の性的問題は、痴漢、露出などの性暴力や、ツーショットダイヤルでのテレホンセックスやマスターベーションなどの強迫的性行動である。3年前に、電車内で女子高生への強制わいせつの罪で逮捕されたのをきっかけにSCAを知り、つながった。SCAにつながった頃は、まだ判決も降りていなかったので、実刑判決を受けるかもしれないと恐々としながらも、社会生活も夫婦生活も破綻してしまう私の性犯罪行為がどうしたらやめられるのか、それだけを考えていた。2度とやらない、と何度も誓っていたので、誓うだけでは次はやらないという保証はないと、自分でも感じていた。それで、自助グループの世界に足を踏み入れた。つながったときは、判決を控えていたこともあり、「どうしたらやめられるのか」、その答えを実感したいと思っていた。今考えるとやめる方法を見つけて安心したかったのだと思う。

 性的問題行動を繰り返しているときの私は、表向きは普通の人と変わりない自分を装っていたため、とても苦しかったが、逮捕という事件を通して、隠していた秘密を強制的にさらけ出されたことで、かえって自分のしたことを受け入れられる気持ちになれた。それから、ミーティングに出て、自分の問題を話すたびに、自分が解放されていった。私の秘密を隠さなくていい場所があったことは、とてもありがたかった。

 私より前からつながっている仲間が長いソブラエティを達成していたりするのを見て、自分の回復はソブラエティ(性的問題行動やマスターベーションをしないでいられること)の日数を伸ばしていくことだと考えて、それには、性的衝動が起きないようにしなくては、と思っていた。しかし、電車に乗っていても、車を運転していても、女子高生や露出度の高い服装をしている若い女性を見るたびにとらわれ、じろじろ眺めたくなった。そんな自分を振り返って、私はまだまだ回復していないのではないかと思った。

 その後、ステップ1を学び、性的衝動がわき起こってしまうこと自体を自分で制御することはそもそも無理なのだと受け入れるようになった。昔の自分は、痴漢をしたい、露出をしたいと思えば、それをやらなければ気が済まなかったので、やらないようにするには、したいと思わない自分にならなければならない、と思っていた。ところが、ステップ1が私に教えたのは、やりたいという気持ちは受け入れろということだった。その上で、実際の行動には起こさないでいられる自分にならなければならないということだった。この気づきともいうか悟りともいうべきことは、今までの私の考えには全くなかったことで、衝撃的だった。

 やりたいと思っているのにやらないでいるということは、はじめはとてもできないことのように感じたが、私はそういう影の部分を持つ自分を否定していたことに気づいた。善悪で判断して自分を裁いていた。それに代えて、いいも悪いもなく、今自分が何を感じているかを隠さずに認めてあげようと意識するようになって、とても楽になってきた。

 自分を裁いてしまう根底には、他人からの承認を求めてしまうという私の最大の問題がある。私が他人にこう思われたい、と勝手に描いて、その通りにしたいから、他人によく思われないのではないかと自分が思う部分を裁いていた。しかしいくら裁いても自分が苦しくなるだけだった。仕事はいつも能率よくはかどらなければならない、とか、起きている間はいつも効率よくなにかをしていなければならないとか、無意識に思いこんでいて、それがスリップにつながっているとわかるようになってきた。私がマスターベーションをするときには、女性からの承認で満たされたいという思いと、性的興奮や快感が一体となっていると思えるようになった。

 以前の私は、マスターベーションがとまらないことばかり目を奪われて、ちっとも回復していないと思っていたが、私のカウンセラーのアドバイスをきっかけに、自分のプラスの側面を見るようになってきた。出来ていないことを「出来ていない!」といくら嘆いても自分の回復にとって何の効果もないばかりか、むしろスリップに自分を駆り立ててしまう危険となることに気づいた。私は確かに3年間(も!)性犯罪が止まっている。一番の理由は、私が子ども時代に自分の親によって傷ついて生きていたことに気づき、自分の傷ついた感情を受け入れられるようになったことだ。私のしてきた性犯罪行為は、相手の女性に、自分が感じているこんなに重いものを背負わせるものなんだと思えるようになった。

 私がつながる前に性的問題行動を合理化するのに使ってきた「怒り」も、昔は100%他人が原因で、誰かが「私を怒らせた」のが悪い、と思っていたが、怒りや恨みの感情がわき起こったときは、まず自分の側に問題がないかに焦点を当てて、自分の気持ちをたぐり寄せていくと、たいていは自分の側に問題があることがわかってきた。現実問題として、他人にせいにしている間は怒りは収まるどころか逆に増していったが、自分の受け取り方や行動を変えていくと、不思議と気持ちが収まることがわかった。とにかく楽!なのだ。まだ部分的であるが、自分の感情を適切に対処できるようになってきたのは、今までの自分と比べたらものすごい進歩だと思う。

 ソブラエティの日数こそ増えないが、私は確実に回復の途上にあるのだと感じる。同時に、これからもさらなる回復をしていきたいと思うのだ。そのための行動をひとつずつ増やしていきたい。

 私にとって、SCAをはじめ自助グループのミーティングは、自分の話を話すことで、また仲間の話を聞くことで、いろんな気づきを与えられる場所であり、自分勝手な生き方から霊的な生き方に自分を引き戻す場所であり、どんなに行きたくなくても、行けば必ず「来てよかった」と思える場所である。仲間とのフェローシップは、自分と他人との境界線を引くとてもいい訓練場所である。私の回復にとってミーティングは欠かせない。私はこのフェローシップに参加できてとてもありがたいと思う。

アノニマス

(初出:2007年2月第18回横浜アディクションセミナー資料集)

回復号は各駅停車

 30代後半、男性。地方出身。僕の最大の性的行動化は過度の風俗通い。それと"のぞき、盗撮、スカトロ"等の変態ポルノグラフィを見ながら行う自分とのセックス。さらに、異性の後ろ姿を強迫的に凝視して変態妄想に浸り続けること。

 僕は母親に虐待されて育った。僕にとっての母親は恐怖そのものだった。愛情は向こうからは発信されていたかも知れないが、僕の側でそれを受け取った記憶はあまりない。およそ、"母の暖かさ"というものとは無縁に生きてきた。

 さらに僕はいじめられっ子だった。幼稚園から高校まで、絶えずいじめを受けていた。男子からだけでなく、女子からもさんざんいじめられた。いじめというものは同性からされるよりも異性からされる方が傷が深く残る。僕にとっての女子(=異性)とは、僕を汚物扱いし、僕の名字に"クソ"をつけて呼び捨て、集団で侮辱の言葉を浴びせてはしゃぎたてる存在であった。そのうち気になる子も出て来たが、とても告白など出来る空気ではなかった。

 人間関係の大事な部分が欠落したまま、年だけ取っていった。

 10代で凝視と変態妄想が始まった。20代で変態ポルノグラフィが手放せなくなった。そして32才のある日、楽しみにしていたプライベートの行事が急な仕事でパーになるということがあった。本当に楽しみにしていたことだったので嘆き、怒り、わめき、自分を呪った。仕事にともなう報酬を現金でもらって、「この金1円残らず、遊んで使ってやる」と思った。何に使おうかと考えた結果、風俗店へ行くことにした。この時点での僕はまだほとんど異性と性的接触をしたことがなく、いわゆる"早漏恐怖"もあったのだが、それでも店へ向かったくらい、自暴自棄になっていた。

 そして、店の個室の中でコンパニオンを抱きしめた瞬間、二度とオフになることのない、とどめのスイッチが入ってしまったのである。

 なにがしかのお金を出せば、優しさと肌のぬくもり、そして恋人気分と性的快楽を簡単に手に入れられることを知ってしまった僕は、いっぺんに風俗に夢中になった。店や女の子の情報を片っ端から仕入れ、手当たり次第に通った。

 風俗店でコンパニオンと接している間の僕は、酔っている、ラリっているのと同じだった。時間が来て店を出た瞬間から離脱症状が始まる。頭の中は、「ああ、もう一度、女の子を抱きしめたい。背中をとんとんしてほしい。優しい言葉をかけてほしい。甘えさせてほしい。とろけさせてほしい......」といった思い一色。片時もそれが消えることがない。悶え苦しむ日々。金を何とか都合してまた店に行き、女の子を抱きしめると楽になる。終わると再び...の、際限ない繰り返し。間隔が数週間から二週間、一週間、五日、三日と縮まり、ついには連続に。はしごする日まで出てくる。半年で貯金が底をついた。一年後にはサラ金から借金していた。一年半ちょっと後には多重債務になっていた。サラ金のATMから金を引き出して2軒はしごして、金が足りなくなってまたサラ金のATMへ走って金を引き出して3軒目へ、結局5軒はしごして、只々みじめになって、自己憐憫に浸りながら家へ帰って一人寝るときの辛さ、苦しさ、寂しさ。そこから楽になりたくて、また行動化に及ぶ。堂々巡り。もはやどうすることもできなかった。

 "助けを求める"という正気の部分は辛うじてまだ残っていた。それに応じて精神医療、カウンセリング、自助グループという、泥沼から抜け出す鍵がいくつも僕に与えられた。しかし地方ではそれらの恩恵にあずかれるにも限界があった。また、行動化そのものは回数が減っていても続いていた。そして30代後半になり、自分の心と魂をケアしてこなかったツケが回ってきた。一昨年、とうとう精神的な破綻をきたし、仕事を辞めざるを得なくなった。間もなく、全てを捨てて東京に出てきた。今は福祉に助けてもらいながら、毎日自助グループに通っている。その過程で、SCAにつながることが出来た。

 上京してから、風俗通いは一年半以上とまっている。変態ポルノへのとらわれも減ってきた。ただ、変態妄想を頭の中でプレイバックさせて行う自分とのセックス(僕はこの行為もスリップと定義している)は、今もとまっていない。このことを過剰に意識して回復を焦り、痛い目を見たことがある。そして今、こう思う。

 「神様、超特急回復号は、各駅停車に種別変更致しました。"認める。信じる、ゆだねる"の3つのパンタグラフをきちっと上げれられる意欲をお与え下さい。あなたの出してくれる信号現示に従える落ち着きをお与えください。」

セノハチ

(初出:2007年2月第18回横浜アディクションセミナー資料集)

そして先日

 僕の最大の問題は、小児性愛と子どもに対する性犯罪加害。他にも買春を含むセックスで性的興奮とやすらぎを一時的に得ることだけを目的とした性関係の問題を持つ。思春期からずっとその妄想を使い自慰すること、また直接加害すること、これらで性的な興奮を得て、そうすることで自分を受け容れられないつらさからの自分の心を救って来た。しかしそれは本当の救いではなかった。自分と他人に対する破壊の道だった。情緒的虐待だったと思う幼少時の自分に対する親の僕に冷たく感じられた態度をきっかけに、自分には価値がないと思い、また親に対する強い恨みを持ち、自分が壊れておかしくなっていくことで親に謝らせたかった。そうすればまともになってやると誰にも言わず思っていた。「このままではまずい」と思えることもあったが、恥ずかしいがずっと他人を犠牲にして自分だけが性的興奮という利益を得ることが不当なこととは思えず、それよりも自分の欲求が満たされないことの不当さに対して怒り、自己正当化を続けてきた。

 数年前の加害後、拘留中に弁護士の与えてくれた資料から、自分の性の問題が依存症の問題であると知る事ができた。アルコール依存症を併発している僕はこの頃僕は既にAAメンバーとなり自分のアルコール依存症を認めつつあった。依存症が進行性で治癒はないが回復可能な病気であることは知っていた。だからこれだけは誰にもわかってもらえないと思い解決方法もないと思っていた自分の性の問題が、依存症の問題であり回復可能なものと知る事は大きな希望となった。希望が持てそしてようやっと自分の性の問題を真正面から見つめ、そこから回復したいという意欲が持てた。あらためてAAで出会った12ステップのプログラムを自分の性の問題にも当てはめてみた。

 そして自分の性が病んでいたことと自分の誤りをようやっと認めることができた。

 しかし誤りを認めると今度は「被害者に深い苦しみを与えておきながら自分は生きていてもいいのか?」「生きていたらまた加害してしまう可能性があるのではないか?」「自分が生きていてどういう意味があるのか?」「埋め合わせなんてはてしない感じだ」などと自分を責め、思い悩むことが多かった。

 そうしては心の安らぎを小児性愛の妄想を使ったマスターベーションに求めてしまってきた。病気のパターンに見事にはまっていた。

 疑い深くなっていて、完全な自分の回復モデルが、完璧な回復方法が見つからないとダメで、それが見つかったら何かを始めようと思っていた。だがみつからなかった。でも12ステップ自体は捨てなかった。プログラムを、ステップワークを続けた。ビッグブックとスポンサーシップがとても助けになった。一昨年「自分が何かを信じることを、何かを選ぶことを恐れている」ことに気がつかされた。僕は自分の性格上の欠点である恐れから回復への道を自ら閉ざしていた。信じる意欲を持つことが必要なのだと決意できた。ミーティング上だけでなく日常生活で祈り始められた。

 12ステップの回復のプログラムを、「自分を超えた力が私たちを健康な心に戻してくれる」ことを信じ、信仰への意欲を持ち、自分を責めるのをやめ始めた。少し楽になった。去年、以前よりも自分が好きに思えた。

 そして先日、ふと「生きていること自体に意味がある」と思えた。嬉しかった。そしてこの性加害問題の埋め合わせの難しさを受け入れられた。できることを少しずつ始めればよい。賠償用のお金を少しずつ貯め始めることができた。

アノニマス

(初出:2006年2月第17回横浜アディクションセミナー資料集)

「あの事」にだって解決はある

 2000年春。アルコール依存症で入院した病院のレクチャーのプリント。それは各種アディクションの対象をイラストで表したものだった。アルコールには酒瓶の、セックスには男女が同じベッドにいるイラストがあり、「自分に当てはまる」と思うものに○を付けていった。「確かにマスターベーションは度を越しているかも」と僕はセックスにも○を付けた。が、それだけだった。「『あの事』は関係ない」「それにここには男女のことしか描いてない」。退院してAAにつながった。中途半端だったが。僕の性へのこだわりを聞いた仲間がある性依存のグループを紹介してくれた。が、連絡しなかった。「『あの事』は違う」、「『あの事』を分かってもらえるはずがない」。

数ヵ月後、僕は拘置所にいた。罪名強制わいせつ未遂。被害者は男児。僕の最大の問題は小児性愛と子どもに対する性加害だ。思春期から行動化が始まった。児童ポルノと虐待的な妄想を使い、後々にはアルコールと薬物も使い、強迫的マスターベーションを繰り返し、加害も繰り返してしまった。主に男児に性的に囚われ、しかし自らを「少年愛者」と呼び、「趣味の問題」、「価値観の問題」、「それを社会が問題とするから、それは問題となる」、と自己正当化し続けた。被害者のことを想像する力はなかった。

 「本当のことを言っても僕のことは誰にも理解されない。だから誰にも言わない」。それは深くて最大の秘密となり自分自身も苦しめた。一方でそのことこそが「本当の自分」に思え、そしてそのことについて語れず、またそれを手放したら生きていけなくなるように感じていた。そのことに酔っ払いそして絶望していた。「このことは誰にも言えない」「本当のことを言ったら非難される」「こんな人生...」「何でオレだけ...」。誰にも理解されないと苦しみ、怒り、そして人々を傷つけていた。かつて親から虐待を受けたと感じ、子ども心に「僕は親と違って子どもの気持ちのわかる大人になる」と誓った僕は、しかし全く逆の人間になっていた。そして親や社会を恨み、破壊的な行動をすることで、いつか親が「私たちが悪かった。それは認めるからどうかまともになってくれ」と自分に謝ってくれることを期待していた。

 それはかなえられた。「息子がこのようなことをしてしまったのには私にも原因がある」。父は裁判で証言した。が、何も変わらなかった。弁護士さんがある論文を差し入れてくれた。「性犯罪は嗜癖」! また同じような加害者の回復の物語、そしてサバイバーの人々の手記を読ませてもらった。ようやっと僕は自己正当化を解き、自分の性が人を深く傷つけるから、だから問題であり、それは改める必要のあることを認められた。そして別の機会には、小児性愛などの性嗜好異常(パラフィリア)は、そのままそれを性依存症とみなすことができることも知った。

 そればかりか希望も与えられた。自分の最大の問題が何とかなる可能性を感じられた。かつて深い落ち込みから精神科を訪れた時、「アルコール依存症」と診断されただけでは僕は「それだけ?」としか思えなかった。しかし今や自分の最大の問題である小児性愛と子どもに対する性加害を「アディクション」として捉えられることがわかったのだ!だとしたら話は早い。気持ちが軽くなった。すでに12ステップの回復のプログラムをやっていこうという気持ちが少しはあった。これからは「あの事」だってそれに委ねていけばよい。ようやっと過去の棚卸しができ始めた。第5ステップをやり、初めて「秘密のないこと」を経験した。真実は僕を自由にする。

 それからSAにそしてSCAに出会うことができ、自分のことをもらさず回復のプログラムに委ねる環境が整った。SCAに出会うことで、僕は自分の成人の性対象の性別=性的指向(セクシュアルオリエンテーション)について気にする必要はなくなった。が、道は平坦ではなかった。僕はその存在を認めはしたものの長いこと慣れ親しんだ恨みや怒り、そして恐れに囚われ続け、その回避の手段としてこれも慣れ親しんだマスターベーション――自分のリカバリーブランで、はっきりとそれをスリップと定義したのだが――を手放せなかった。そしてそうする度に落ち込み、自分を責め、またつらくなり次のスリップをした。そんな時は「自分を超えた大きな力が私たちを健康な心に戻してくれる」なんてことは吹っ飛んでしまった。しばしば投げ出したくなり、罪悪感に囚われ、「再犯しないのには死ぬのが一番」と自殺も考えた。しかし治療者や仲間、スポンサーに、そして神に、昔は恐れてそれを求めることができなかった助けを求めることができ、また戻ることができた。祈ることもだんだんと習慣にできるようになった。

 最近また落ち込んだ。「今さら再犯したくも飲みたくも死にたくもない。だけどそれ以上も勘弁。ただ生きさせて!」としか思えず、せっかくついた仕事もやめ引きこもってしまった。しかしその時、このように自分に「生きていくための力がない」のもこの病気の状態=スピリチュアルに病んだ状態――病的な性のあり方囚われ、普通の人がシラフで生きる過程で学習していくことを棚上げにしてしまった結果自らもたらした――であるということに気付かされ、改めて「自分なりに理解した神」に助けを求めることができた。そしてそうすることによって僕は心の安らぎと希望、そして生きるための力を与えられていると感じている。ソーバーでいることも苦痛ではない。

 一方、僕には成人に対しても、セックスだけが目的の関係、ハッテン場通い、カップルになってもセックスにはまりっ放し、と性の問題がある。しかしこれも素直にこのプログラムに委ねていけばよいと思っている。いつの日かそれにふさわしい自分になった時には、健康な親密さに基づいた、セックスはオプションで付くような関係を誰かと作れればうれしい。

 傷つけてしまった人々への埋め合わせをはじめ、この道はまだまだ続く。それでも僕は今、回復のプログラムにつながり生き直しを始められたことは、かつての孤独と絶望を思うとありがたいに尽きる。そして今何よりうれしいのは、神が「今苦しんでいる性的強迫症者にメッセージを運ぶ」機会を与えてくれていることだ。それは僕にとっては過去の自分への励ましでもある。それは僕に大きな力を与えてくれる。この話が自分と同じような問題で苦しむ人への希望となればうれしい。解決はある。

アノニマス

(初出:2005年2月第16回横浜アディクションセミナー資料集)