そして先日

 僕の最大の問題は、小児性愛と子どもに対する性犯罪加害。他にも買春を含むセックスで性的興奮とやすらぎを一時的に得ることだけを目的とした性関係の問題を持つ。思春期からずっとその妄想を使い自慰すること、また直接加害すること、これらで性的な興奮を得て、そうすることで自分を受け容れられないつらさからの自分の心を救って来た。しかしそれは本当の救いではなかった。自分と他人に対する破壊の道だった。情緒的虐待だったと思う幼少時の自分に対する親の僕に冷たく感じられた態度をきっかけに、自分には価値がないと思い、また親に対する強い恨みを持ち、自分が壊れておかしくなっていくことで親に謝らせたかった。そうすればまともになってやると誰にも言わず思っていた。「このままではまずい」と思えることもあったが、恥ずかしいがずっと他人を犠牲にして自分だけが性的興奮という利益を得ることが不当なこととは思えず、それよりも自分の欲求が満たされないことの不当さに対して怒り、自己正当化を続けてきた。

 数年前の加害後、拘留中に弁護士の与えてくれた資料から、自分の性の問題が依存症の問題であると知る事ができた。アルコール依存症を併発している僕はこの頃僕は既にAAメンバーとなり自分のアルコール依存症を認めつつあった。依存症が進行性で治癒はないが回復可能な病気であることは知っていた。だからこれだけは誰にもわかってもらえないと思い解決方法もないと思っていた自分の性の問題が、依存症の問題であり回復可能なものと知る事は大きな希望となった。希望が持てそしてようやっと自分の性の問題を真正面から見つめ、そこから回復したいという意欲が持てた。あらためてAAで出会った12ステップのプログラムを自分の性の問題にも当てはめてみた。

 そして自分の性が病んでいたことと自分の誤りをようやっと認めることができた。

 しかし誤りを認めると今度は「被害者に深い苦しみを与えておきながら自分は生きていてもいいのか?」「生きていたらまた加害してしまう可能性があるのではないか?」「自分が生きていてどういう意味があるのか?」「埋め合わせなんてはてしない感じだ」などと自分を責め、思い悩むことが多かった。

 そうしては心の安らぎを小児性愛の妄想を使ったマスターベーションに求めてしまってきた。病気のパターンに見事にはまっていた。

 疑い深くなっていて、完全な自分の回復モデルが、完璧な回復方法が見つからないとダメで、それが見つかったら何かを始めようと思っていた。だがみつからなかった。でも12ステップ自体は捨てなかった。プログラムを、ステップワークを続けた。ビッグブックとスポンサーシップがとても助けになった。一昨年「自分が何かを信じることを、何かを選ぶことを恐れている」ことに気がつかされた。僕は自分の性格上の欠点である恐れから回復への道を自ら閉ざしていた。信じる意欲を持つことが必要なのだと決意できた。ミーティング上だけでなく日常生活で祈り始められた。

 12ステップの回復のプログラムを、「自分を超えた力が私たちを健康な心に戻してくれる」ことを信じ、信仰への意欲を持ち、自分を責めるのをやめ始めた。少し楽になった。去年、以前よりも自分が好きに思えた。

 そして先日、ふと「生きていること自体に意味がある」と思えた。嬉しかった。そしてこの性加害問題の埋め合わせの難しさを受け入れられた。できることを少しずつ始めればよい。賠償用のお金を少しずつ貯め始めることができた。

アノニマス

(初出:2006年2月第17回横浜アディクションセミナー資料集)